御殿場線物語

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Print this page

御殿場線は明治の鉄道創生期に東海道本線として誕生し、その後の日本の歴史とともにいくつもの変遷を経て現在に至っています。ここではその御殿場線の誕生から今日までをご紹介します。

東京-神戸間を結ぶ幹線鉄道の建設決定

明治新政府は明治2年(1869)11月10日、東京-神戸間を結ぶ幹線鉄道を建設することを正式に決定した。しかしこの時点では路線を中山道とするか東海道とするかは未定であった。

ようやく明治16年(1883)10月23日、政府は当時の軍部から出された「海岸沿いの路線は防衛上の弱点が多い」という意見に押されるかたちで中山道 幹線建設を決定したが、実際に工事が開始されると碓氷峠をはじめとする中部山岳地帯の地形上の悪条件のため、予想以上に難工事であることかわかった。このため当時の井上勝鉄道局長官は密かに東海道線を調査させ、営業上においても東海道線がはるかに有利なことがはっきりした。

そこで明冶19年(1886)7 月19日幹線鉄道の経由を中山道から東海道に変更する通達が出され、東海道線の全通の期限を明治23年の帝国議会開会前とし議員の往復に利用できるように取り決めた。東海道に変更された幹線の測量は明治19年度末にはおおむね完了したが、国府津付近から沼津に至るいわゆる箱根越えは難工事が予想されるため、とくに山北-御殿場間は10数回の試測を行ない、明治20年(1887)9月にそのルートを確定した。

東海道線の開通

この幹線鉄道の路線の中でも箱根越えの山北-御殿場間は最大の難所であった。この区間の工事は、わずか8kmの間を 20カ所の橋梁と7カ所のトンネルで結ぶ難工事で、工事を二等技師原口要ら3人が分担し当時の土木技術の粋をあつめ、明治22年(1889)2月1日に国府津-沼津間が開通、同年7月1日には東海道線新橋-神戸間が全通、当初は旅客列車が1日4往復、所要時間は下り16時間50分、上り18時間15分で運 行され、国府津-沼津間の所要時間は 2時間35分であった。この国府津-沼津間の路線が現在の御殿場線となっている路線なのである。

なお、全通当時の国府津-沼津間の停車場は、国府津・山北・小山(→六合→駿河→現:駿河小山)・御殿場・佐野(現:裾野)・沼津の6駅であった。

sakawa1_kyouryousakawa3_kyouryou

路線の複線化

yaga-oyma全通はしたものの小山-沼津間は最大勾配25パーミル(25/1000)の急勾配のため運転上の障害が多く、これにともなう遅延が発生していた。

そこで上下列車の待合せによる遅延を防止し、幹線輸送の円滑を図る目的でこの区間延長35.5kmの複線化を決定し、明治 22年(1889)8月に小山から測量に着手し、明治23年(1890)12月に御殿場-沼津間が、翌明治24年(1891)3月には小山-御殿場間の複線化が完了した。

しかし最大の難所である山北-小山は難工事となり、国府津-山北間が明治34年2月5日、山北-小山間は同年6月11日にそれぞれ複線化が完成した。

「急行」「寝台」列車運転開始、超特急「燕」の誕生

rogers7950B国府津-沼津間の複線化の進行にあわせ、明治29年(1896)9月1日より新橋-神戸間にはじめて「急行」列車 が、明治33年(1900)10月1日より夜行急行には寝台車が連結され運転されるようになった。

また明治34年(1901)12月15日より急行列車に食堂車を連結し営業するようになったが、国府津-沼津間は急勾配区間での輸送力確保のため、食堂車をわざわざ外して運転されていた。

その後も鉄道の設備改善が進み、昭和5年(1930)10月1日より東海道線には超特急「燕」が運転され、東京-大阪間は8時間20分で結ばれるようになった。

yamakita_ekikounai

丹那トンネルの開通

産業の発達に伴い東海道本線を通過する旅客や貨物は激増するが、それをさばくために国府津-沼津間には急勾配に強いマレー式機関車を投入したり後押しをする補機を付けるなどの対策を講じてきたが、連続する急勾配区間が大きな障害となり輸送力の限界となってきた。

そこで、新たに国府津から小田原・熱海を経て沼津に抜ける新線が検討され、熱海と三島の間にトンネルを建設する計画が明治43年(1910)から開始された。 大正7年(1918)4月1日に工事着工され、断層や湧水、温泉余土(溶岩や岩塊が温泉熱により変質したもので、空気に触れると数倍にもなって膨れだす) など幾多の困難に遭遇しながらも16年6ヶ月の歳月を要し、昭和9年(1934)9月30日「丹那トンネル」は貫通した。

東海道本線から御殿場線へ

yaga_eki昭和9年(1934)12月1日には丹那トンネルが開業、東海道本線は国府津より熱海を経て沼津へと結ばれることとなった。これにともない国府津-山北-御殿場-沼津間は「御殿場線」と命名され、幹線からローカル線へと変貌した。

今までは一日に100本以上の旅客・貨物列車が往来していたものが、僅か20数本の区間運転列車に減少、本線時代の繁栄は失われる。

単線化、柳井線へのレール転用

昭和18年(1943)7月11日、御殿場線は上りレールが取り外され、単線となってしまった。これは第二次大戦の物資困窮の折り、山口県の柳井線、岩国-徳山間の新線敷設の資材として転用するためであった。

この柳井線は後に山陽本線となり、それまでこの区間の本線は勾配がきついという理由で岩徳線という支線となるという、御殿場線と同じ運命をたどっているのである。

hakone1_zuidouhakone7_zuidou

sakawa2_kyouryou_1sakawa2_kyouryou_2

ディーゼル化、電化、小田急線の乗り入れ、電化

御殿場線のディーゼル化はその急勾配ゆえに導入が遅く、昭和30年9月1日より旅客列車のディーゼル車による運転が開始された。また同年10月1日より小田急のディーゼル準急「芙蓉」が松田から御殿場まで乗り入れを開始、御殿場線の観光路線としての機能が強められることとなった。

昭和43年(1968)4月27日には国府津-御殿場間、7月1日に御殿場-沼津間が電化され、御殿場線は全線が電化された。これに伴い東京-御殿場間に電車急行「ごてんば」が運行され、東海道線-御殿場線の直通運転が開始された。また、同時に小田急線の乗り入れ列車も電車に置き換えられ「あさぎり」と命名された。

新電車特急「あさぎり」の沼津乗り入れ

小田急線の御殿場乗り入れ直後より沼津までの運転延長の要望が多かったが、昭和60年ごろより旧国鉄も御殿場線活性化のため、新宿-沼津間の直通による旅客の利便向上を図ることを発想し、分割民営化後のJRは小田急との共同開発により特急車両を新製し、平成3年(1991)3月16日より、新宿-沼津間に電車特急「ワイドビューあさぎり」が運転されるようになった。

asagiri_matsudaasagiri_oyama

新造ワンマンカーの導入

平成11年(1999)12月4日には新造車両313系が導入され、御殿場線初のワンマンカーによる運転が開始された。

381_shimosoga381_ashigara

長泉なめり駅開業

平成14年9月7日に、御殿場線21世紀最初の駅、長泉なめり駅が開業しました。

nagaizumi_nameri_1nagaizumi_nameri_2

IC乗車券TOICAの導入

2010年(平成22年)3月13日、御殿場駅 – 沼津駅間でTOICAを導入。

あさぎり再び片乗り入れへ

2012年3月17日のダイヤ改正をもって、RSE車と371系は廃止され、「あさぎり」全列車がMSE車により運行されることになりました。これと同時に運行区間は新宿駅と御殿場駅の間に短縮されました。

ロマンスカー